2012年 02月 18日
ホームレスRさん。孤独の死・・・
Rさん、さようなら♪
やれやれ~今週も無事に終わった。
驚くほどの暖冬で、通勤の長距離ドライブを苦にすることも少ない。
平和といえば平和だけれど・・・一つだけ、ショックなことがあった。
仕事場のご近所さんでホームレス、Rさん(享年54才)の死だ。
愛犬のパンプキンに看取られて亡くなったらしい。
自然死ということだけれど、悲しい別れだった。
(写真提供:Battlecreek Enquirer)
私がRさんと会話をするようになったのは、11月くらいからだろうか。
ホームレスの方と友達になるという経験はなく、何を話したらよい
ものか迷った。ホームレスと物乞いとは違う。Rさんとの会話から
それを知った。彼は私に何かを要求なんかしてこない。
Rさんのプライバシーを尊重しながら、時おりコーヒーや作りすぎた
スープをシェアーした。暖冬とはいえ、冬の夜は冷えるから。
2週間前の夜、胸騒ぎがしたのを覚えている。
パーティーで作りすぎたサンドイッチやオードブル。
電話をして、Rさんに取りに来てもらかなぁ。
プライバシー侵害になるものかどうか。ちょっと悩んだ。
私としての気遣いだったのに・・。悔しい。
あの時がそう。
Rさんが、一人でひっそりと息を引き取った日だったのだと思う。
私の勘は意外とあたる。
Rさんのメモリアルサービスがあった。
その昔、Rさんも会員だったというバプテスト教会でメモリアルサービスがあった。
葬儀とは違う、セミフォーマルな故人の冥福を祈る集いのようなものだ。
亡くなった後で知ったことだが、Rさんには近所に住むお姉さんがいた。
じゃぁ、どうして一緒に住まないの?
夫と二人して不思議に思った。
けど、ホームレスとして生きていたのは、彼自身の選択だったらしい。
メモリアルサービスの前夜は雪が降ったこともあってか、参加者は40名ほどだった。
人間生まれたときから、いきなりホームレスになる場合は少ない。
Rさんは、ミシガン州のカラマズーという町で生まれ、自然が好きで森に住むことを
こよなく愛していた。サービスで配られた小冊子には、そう書かれていた。
愛犬のパンプキンとともに住んでいたあの小屋。納得する。
学歴の記載は一切なかったけど、若い頃に南部で漁師をしていたせいで、
友人達の間では「ミシシッピー」というニックネームでよばれていたという。
故郷に帰ってきてからは、アルコール依存種になる前まで建築関係の仕事をして
いた。これをシンプルライフというのだろうか。
会話をしていても、Rさんはいい人だと思った。
手作りの小物を作ってプレゼントをするのが好きな男性。
お姉さんが大切にしているRさん作の宝石箱。
彼の優しさとぬくもりが感じられる作品だった。
アメリカのお葬式で食べるものは・・・
故人をしのんで牧師、親類、友人からのメッセージ。
ピアノの伴奏で賛美歌の合唱。
メモリアルサービスが終わった後は、「もてなしランチ」が並んだ。
教会メンバーの婦人達によるボランティアーである。
サンドイッチ、甘く煮た豆、コールスローサラダ、ブドウ、
ポテトチップス、ケーキ。
アメリカの定番料理だ。
日本のように料亭での高級料理といはいかない。
家族がこの「もてなしランチ」の費用を持つ場合もあるけれど、
一般的には教会メンバーの持ち寄りが定番だ。
困ったときはお互い様。ご予算少々で助かる。
Rさんのフリースピリット。自由な心。
身軽な人生。いいじゃないの。
私もハッピーに生き、ついでに身辺の整理もしておこう。
Rさん、いつか天国で再会しましょう!
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
暖冬で少し早く冬眠から目をさましたペコちゃん。
シマリスは、いつも餌でほっぺたを膨らませる。
だから「ぺこ」ちゃんね。
今週も皆さま頑張りましょう!
良く食べ、良く寝て、良く遊ぶ。
おまけにフィットネスも忘れずにね。
Rさんを偲ぶエッセーへのお付き合いありがとうございました。
コメントを残してくださいね。後ほど、あなたのブログへお邪魔
させていただきます。
(追記:Rさんは、死後10日ほどで発見されました。彼のそばには
愛犬のパンプキンが付き添っていたそうですよ。元気にね。
また、パンプキンは、現在のところ動物保護施設にいるそうです。
新しい飼い主にめぐり合えますように祈ります。)
やれやれ~今週も無事に終わった。
驚くほどの暖冬で、通勤の長距離ドライブを苦にすることも少ない。
平和といえば平和だけれど・・・一つだけ、ショックなことがあった。
仕事場のご近所さんでホームレス、Rさん(享年54才)の死だ。
愛犬のパンプキンに看取られて亡くなったらしい。
自然死ということだけれど、悲しい別れだった。
(写真提供:Battlecreek Enquirer)
私がRさんと会話をするようになったのは、11月くらいからだろうか。
ホームレスの方と友達になるという経験はなく、何を話したらよい
ものか迷った。ホームレスと物乞いとは違う。Rさんとの会話から
それを知った。彼は私に何かを要求なんかしてこない。
Rさんのプライバシーを尊重しながら、時おりコーヒーや作りすぎた
スープをシェアーした。暖冬とはいえ、冬の夜は冷えるから。
2週間前の夜、胸騒ぎがしたのを覚えている。
パーティーで作りすぎたサンドイッチやオードブル。
電話をして、Rさんに取りに来てもらかなぁ。
プライバシー侵害になるものかどうか。ちょっと悩んだ。
私としての気遣いだったのに・・。悔しい。
あの時がそう。
Rさんが、一人でひっそりと息を引き取った日だったのだと思う。
私の勘は意外とあたる。
Rさんのメモリアルサービスがあった。
その昔、Rさんも会員だったというバプテスト教会でメモリアルサービスがあった。
葬儀とは違う、セミフォーマルな故人の冥福を祈る集いのようなものだ。
亡くなった後で知ったことだが、Rさんには近所に住むお姉さんがいた。
じゃぁ、どうして一緒に住まないの?
夫と二人して不思議に思った。
けど、ホームレスとして生きていたのは、彼自身の選択だったらしい。
メモリアルサービスの前夜は雪が降ったこともあってか、参加者は40名ほどだった。
人間生まれたときから、いきなりホームレスになる場合は少ない。
Rさんは、ミシガン州のカラマズーという町で生まれ、自然が好きで森に住むことを
こよなく愛していた。サービスで配られた小冊子には、そう書かれていた。
愛犬のパンプキンとともに住んでいたあの小屋。納得する。
学歴の記載は一切なかったけど、若い頃に南部で漁師をしていたせいで、
友人達の間では「ミシシッピー」というニックネームでよばれていたという。
故郷に帰ってきてからは、アルコール依存種になる前まで建築関係の仕事をして
いた。これをシンプルライフというのだろうか。
会話をしていても、Rさんはいい人だと思った。
手作りの小物を作ってプレゼントをするのが好きな男性。
お姉さんが大切にしているRさん作の宝石箱。
彼の優しさとぬくもりが感じられる作品だった。
アメリカのお葬式で食べるものは・・・
故人をしのんで牧師、親類、友人からのメッセージ。
ピアノの伴奏で賛美歌の合唱。
メモリアルサービスが終わった後は、「もてなしランチ」が並んだ。
教会メンバーの婦人達によるボランティアーである。
サンドイッチ、甘く煮た豆、コールスローサラダ、ブドウ、
ポテトチップス、ケーキ。
アメリカの定番料理だ。
日本のように料亭での高級料理といはいかない。
家族がこの「もてなしランチ」の費用を持つ場合もあるけれど、
一般的には教会メンバーの持ち寄りが定番だ。
困ったときはお互い様。ご予算少々で助かる。
Rさんのフリースピリット。自由な心。
身軽な人生。いいじゃないの。
私もハッピーに生き、ついでに身辺の整理もしておこう。
Rさん、いつか天国で再会しましょう!
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
暖冬で少し早く冬眠から目をさましたペコちゃん。
シマリスは、いつも餌でほっぺたを膨らませる。
だから「ぺこ」ちゃんね。
今週も皆さま頑張りましょう!
良く食べ、良く寝て、良く遊ぶ。
おまけにフィットネスも忘れずにね。
Rさんを偲ぶエッセーへのお付き合いありがとうございました。
コメントを残してくださいね。後ほど、あなたのブログへお邪魔
させていただきます。
(追記:Rさんは、死後10日ほどで発見されました。彼のそばには
愛犬のパンプキンが付き添っていたそうですよ。元気にね。
また、パンプキンは、現在のところ動物保護施設にいるそうです。
新しい飼い主にめぐり合えますように祈ります。)
by runninggirl_USA
| 2012-02-18 08:00
| ハローアメリカ♪ 文化・歴史